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高品質昇華プリント・サイタス野球ユニフォーム.jp|店長のご紹介

野球愛の店長、酒井 恵悟です。

当サイトにお越しいただきまして誠にありがとうございます。

はじめまして!店長の酒井です。

このページを訪れてくださったみなさまに
心から喜んでいただけるユニフォーム作りをしてでいただく前に
少し自己紹介させていただきます。
つたない文章ですがお付き合いいただけますと幸いです。

寝ても覚めても考えるのは野球のことばかり。




私は東京の練馬区にて三人兄弟の末っ子で生まれました。まだ家の近くに空き地や広場があった頃でしたので、よく兄弟三人で探検ごっこや虫取りなど日が暮れるまで遊んでいました。

私はこれまで様々なスポーツに親しんできましたが、
数あるスポーツの中でも野球にはたくさんの思い出があります。

振り返れば、私が小さな子供の頃から、
当時はまだあちこちに小さな空き地があり、
一人の時はブロック塀に向かってボールを投げ、
友達を一人見つければ二人でキャッチボール、
友達を二人見つければ三人で、ピッチャーとバッターと守備を交代で
暗くなるまで遊んだものです。

家に帰ればナイター中継を見て、
その後のプロ野球ニュースをはしごする、それが日課でした。

とにかく、野球が大好き。
寝ても覚めても野球のことばかり考えていた気がします(笑)

小学生時代、特に私が印象に残っているのは1988年10月19日、
いわゆる「10.19」です。
詳述すると話が全く終わりませんので(笑)

ダブルヘッダーとか(今はもう無いですね。。。)、
この2試合を勝てば優勝!とか
改めて当時を思い出すとあの頃の子供ながらに感動した気持ちが鮮やかによみがえってきます。

プレイよりも野球ゲームにはまり

やがて、
中学時代はプレイよりも野球ゲームにはまりました(笑)
たかがゲームと言うなかれ、それはそれは事細かにスコアブックも付けました。

その甲斐あって今でも長打率とか、防御率、出塁率など計算ができるのがちょっとした自慢です(笑)

ゲームの中で当時の西武ライオンズが持ちチームだったのですが、
2軍の隅々の選手までフルネームで覚えました。
そんな選手たちが数年後、1軍で活躍するようになったりすると、
何か自分が育てたように錯覚してしまうような気持になったことも覚えています。

スポーツは世の中に数あれど
特に野球は、プレイヤーではなくても、観戦したり、分析したりする楽しみ方ができるスポーツですし
選手たちのプレーの裏側にある気持ち、機微みたいなものを感じる事ができるんですよね。
一挙手一投足。
確かにそこにはドラマがあります。

やり投げで衝撃的な経験



ただし、こんなにも野球が好きな中学生でしたが冷静沈着な私は(笑)、

「野球選手になりたい!」

という気持ちはありませんでした。

同じ学校というかなり狭い範囲であっても
自分よりも野球が上手な友人がいっぱいいましたし、
野球という競技で勝ち上がっていくのが難しいと
子供心に感じていたのでしょう。
この時はっきりと決まっていたわけでありませんでしたが
何か別の競技で、勝負したいと思うようになっていました。

当時陸上競技をやっておりましたが、
短距離を専門にしており
大した成績を残す事ができていませんでした。

野球も陸上もパッとしないそんな折、
ある時衝撃的な経験をしました。

たまたま父と見に行った陸上競技の大会で、
チェコのやり投げ選手、
現世界記録保持者のヤン・ゼレズニー選手の
投擲(とうてきと読みます)を目の前で見て衝撃を受けました。

強肩に憧れていましたので、
あの槍を軽々90m以上投げるのを目の当たりにして、
一発で惚れてしまい
すぐにこれから投擲競技をやっていこうと決心しました。

高校に入学し早速陸上部の門を叩き、先生の進めもあって
やり投げ、ハンマー投げ、円盤投げ、砲丸投げの
投擲4種目を全てやることにしました。

その後、当初の思惑とは裏腹に
やり投げはパッとしなかったのですが(残念!)、
その代わりハンマー投げで結果を残せるようになり、
その世界にのめりこむことになりました。

「鉄人」 室伏広治選手を目標として

その時期、
日本の投擲種目は世界から大きく引き離されていた状況でした。

伝統的に日本はハンマー投げとやり投げは世界に近い位置にあり、世界大会で入賞する選手もいたのですが、私が競技を始めた90年代半ば頃は、特に目立った結果を残す選手がいませんでした。

そんな時に現れたのが室伏広治選手でした。

今では鉄人と呼ばれるほどの日本スポーツ界のレジェンドの一人ですが、当時はまだ世界との差は大きく、しかしすでに日本人の中では圧倒していました。

室伏選手が当時の日本記録、室伏選手の父でありコーチでもある重信氏の記録を破ったのが98年、私が高校三年生の時でした。
当時高校生の私にとっては雲の上の存在でしたが、室伏選手の存在が日々の練習の大きな励みとなり、目標となりました。

高校を卒業してからはハンマー投げを続けることはありませんでしたが、室伏選手の、世界に果敢に挑み、そして世界一になった姿を同じ世界で見られたことは、今でも私の人生で大きな財産となっております。

松坂世代 野球熱冷めやらず

そして高校時代。

日々陸上競技の鍛錬に明け暮れておりましたが、野球への興味は依然として薄れることなく、定期的に観戦にも行っておりました。
私は1980年生まれ。
いわゆる松坂世代でしたので、当時の松坂選手と横浜高校には強烈な印象があります。

特に1998年、
高校三年生の時の甲子園は激闘の連続で、同時期に開催されていたインターハイに出場する私にとっても、松坂選手たちの活躍する姿は、室伏選手と同じくらい励みになりました。

同じ横浜高校の同級生、小池正晃選手の引退試合での2本のホームランは記憶に焼き付いておりますが、高校野球もやはり様々なドラマを私たちに見せてくれますね。

激動の2001年

大学在学中の2001年は私にとって忘れることの出来ない年になりました。
この年はアメリカ西海岸のオレゴン州に留学しておりました。

ちょうど前年イチロー選手がポスティングシステムで大リーグシアトルマリナーズへの入団が決定しました。

シアトルのあるワシントン州はオレゴン州の隣の州、「何回も見に行ける!」と思ったのは当然でした。

実際は隣の州とはいえ私のいた場所からシアトルまで片道5時間、そう何回もは行けませんでしたが、安いグレイハウンドバスに揺られて通ったセーフコフィールドは懐かしい思い出です。

当時のシアトルマリナーズの勢いは凄まじく、年間116勝も上げた年でした。
イチロー選手に佐々木主浩選手、マルティネス、オルルッド、ブーン、キャメロン、ガルシア、モイヤー、シーリー等々、すばらしい選手が揃っていました。
惜しくもディビジョンシリーズでヤンキースに敗れましたが、90年代半頃から続くマリナーズ全盛時代の一幕を見ることが出来ました。

この年はセーフコフィールドをはじめ、ドジャースタジアム、ヤンキースタジアム、リグレーフィールド、スカイドーム(現ロジャースセンター)に足を運び大リーグの真髄を目の当たりにしました。

もう一つこの年には北米でビッグイベントがありました。世界陸上エドモントン大会です。

高校卒業以来選手としては陸上競技からは離れていましたが、ファンとしてはずっと観戦し続けていました。

この年絶好調の室伏選手は見なければいけない、そう思い大学の夏休み中、友人と旅行もかねて鉄道とバスを乗り継ぎ、アルバータ州エドモントンまで見に行きました。
結果は銀メダル。惜しくも金メダルは逃しましたが、日本人初の世界大会でのメダル獲得を目の前で見ることが出来て大興奮した記憶があります。

そしてこの年は忘れられない悲劇も経験しました。2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生しました。
事件後各地で追悼式が行われ、ニューヨークでは数々のアトラクションが、市民感情およびセキュリティ上から興行中止となりまりました。
様々な憶測が駆け巡り、人々と社会が混乱の中にいました。

しかし事件からわずか7日後に大リーグはシーズンを再開。
打ちひしがれたアメリカ合衆国国民の心を慰める、ナショナル スピリットとも言われる、MLB。その底力を見た瞬間でした。

スポーツは世を変える。人の心を動かす。そう改めて感じたときでした。

このとき私も将来はスポーツに携わる仕事をしよう、そう固く心に誓いました。

"見せましょう。野球の底力を。"

そんな私も気づけば社会人。

今から約3年前、あの悲しい出来事が起こりました。

その時の印象的なエピソードを最後に紹介させていただきます。

"見せましょう。野球の底力を。"

これは、
東北楽天ゴールデンイーグルスの嶋基宏捕手が、2011年4月2日に行われた慈善試合の前にスピーチした言葉です。

その約3週間前の2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生、甚大な被害をもたらしました。
この時被災地である宮城県仙台を本拠地とする楽天球団はオープン戦の長期遠征中、兵庫県で試合中でしたが、8回途中でコールドゲームとして試合が中断。
以降、交通網の寸断などで家に帰ることもままならず、
このまま野球を続けていいのか、多くのナインが悩んでいた中、
多くの選手・関係者を奮い立たせたといわれる有名な言葉です。

その年、やはりコンディションを維持するのは難しかったのでしょう、楽天球団はシーズン5位と低迷しました。

しかし2年後の2013年、楽天は見事に日本一となりました。
創設以来8年目での日本一。被災地の皆さんの思いが強く後押ししたのだと思い野球の素晴らしさに感動いたしました。

チームの熱い絆のために

これまで様々な喜びや楽しみを与えてくれた「野球」。

今でも野球が何よりの楽しみである私ですが、
私と同じように、
あるいは私以上に野球を愛するみなさまの気持ちを込めた
ユニフォーム作りのお手伝いを精一杯務めさせていただきます。

修正回数制限などはとっぱらい、
デザイン修正はみなさまの納得行くまでとことんお付き合いいたします!

まずはお気軽に、
みなさまの野球にかける熱い思いをお聞かせください!

弊社でのユニフォーム作成を通じて
野球を心から愛する大切な仲間との絆が
より一層強まりますように!!

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